自由(じゅうよう) とは?
天理教の主な教理の中には、自由と書いて「じゅうよう」と読む単語があります。
この「自由(じゅうよう)」というのは、親神様のご守護ということです。
天理教のお教えの道は、「自由自在(じゅうようじざい)の道」とも言われます。
親神天理王命は、ない人間ない世界を創造下された、「元の神」であり「実の神」です。
したがって、どのような「自由自在(じゅうようじざい)の理」もお見せ下さいます。
理「自由自在(じゅうようじざい)」ということは、「真実の親」「真実の神」だからこそ、始めて言えることです。
私たち人間は、生かせて頂いている日々の中に、神様の「自由(じゅうよう)」を頂いています。
更に原典おさしづで
じいうようじざいは、どこにあるとおもふな、めん/\の心、つねづねにまことあるのが、じいうよじざいといふ
明治21年12月7日のおさしづ
と仰せられているように、私たちの日々常々の誠真実の心づかいによって、親神様のどのような「自由自在(じゅうようじざい)の理」も見せて頂くことができるのです。
「おさしづ」には、
自由用といふは、なにほどの金銭積みたてといふてなるものやない
明治35年10月7日のおさしづ
とも仰せられています。
親神様の「自由(じゅうよう)の働き」というものは、決してお金で買えるものではありません。
親神様は人間に、身体を「かしもの・かりもの」としてお貸し下されていますが、「心一つは我がの理」として、人間の心には「自由」を与えて下さいました。
私たち人間は、この「自由に使える心」を誠真実をもって、「かしもの・かりもの」の理をよく悟って通らせて頂くところに、親神様のどのような珍しい「自由(じゅうよう)」のご守護も見せて頂くことができます。